マルが逝ってから3年が過ぎた。北京オリンピック開会式をTVで見ていた深夜、病院からマルの心臓が止まったと、連絡が入った。 その日の夕方、散歩に行こうとマンションの入り口に歩くのが苦しそうに息をぜいぜいさせながら歩いていた。ドアを開け、一歩踏み出した時、マルはそこに座り込んでしまった苦しそうな息をしながら、車で5分ぐらいの笠井動物病院のいつものお医者さんに診察を受け、何本かの注射をしてもらい、レントゲン写真を撮ってもらい、酸素吸入のため病院預かりとなり入院となった。午後6時ごろから、閉院となる8時ごろまでマルと一緒にいて、朝一番で迎えに来るからと約束をして帰宅した、その夜だったのだ。
マル。彼は当時住んでいた松本の我が家にやって来た。我が家の飼い犬、初代ワンコである。ゴールデンリトリーバー、男の子。生まれは信州乗鞍山麓の米国人宣教師一家で生まれた七匹兄弟の内の一匹で、我が家には段ボール箱に入り、ピンクのバスタオルにくるまれてやってきた。ぬいぐるみみたいな可愛いパピーだった。でも、小さいながらも、将来を予感させるがっちりした四肢をしていた。
マルは順調に育っていくはずだった。が、六ヶ月を過ぎた頃、突然、身体のあっちこっちに発疹が出来た。始めはヨードチンキみたいな薬を繰るだけだったのが、間に合わなくなり、頭を除いた体中の毛を先生は、バリカンで刈りまくり、彼はヘアレスドッグになった。首から上はあるので、まるで、ライオンみたいだった。原因は食事のアレルギーという事だった。三ヶ月ほど療養食を続け、快癒した。
マルはそのことから十四年、2回の食べすぎからの湿疹で病院へ行ったほかは、家族の3度の引越しにも負けず、元気で暮らしてくれた。
高校生二人の男の子の、父や母にも言えない思春期の悩みを聞いてくれ、家族それぞれの心の思いを打ち明けられながらも、けなげに皆に穏やかに接してくれた、すばらしい我が家の3番目の息子だった。しかし、彼に甘えていた私たち家族は、犬の方が人間よりはるかに速く年を取るということを思い知る事になった。マルの死は、私たちにはまさに、青天の霹靂だった。
あの日から、三年、我が家にひょんなことから、再び、ワンコがやって来た。二代目ワンコ、幸助である。彼はタイニーな、いかにも、可愛らしげな、ウエルシュ.コーギー.ペングローブのパピーであった。顔は茶色と白の左右対称で、頭の後ろにこっけいな茶色の三角マークが付いていた。
マイブログ リスト
-
-
-
-
-
-
-
-
-